ボツワナ日記

伝統工芸品

basket

写真は先日、メインモールに露店で売られていたバスケット。 聞きかじった話によると、ボツワナバスケットと呼ばれるこれらのかごには、いろいろな伝統的なデザインがあって、それらには「走るダチョウ」だの「キリンの涙」だの、動物や自然に関係する名前がついているのだそうです。

で、私が買ってきたものですが、左側はどうやら「シマウマの額」というデザインを少しアレンジしたものらしいです。(シマウマの額を正面から見た図だというのだけど、私にはどこがシマウマなのか正直なところ全くわからない。) ちなみに、これがボツワナ工芸品ではおそらく最もポピュラーなデザインだと言う話です。 右側のデザインは、売っていたおばちゃんに聞いても、うーん、何だっけ?ということで、デザイン名はわからずじまいで、あまり一般的なものでは無いような様子。 でもこのような素朴なデザインが、何ともアフリカらしく気に入っています。

こういうアフリカンアートっぽいデザインのものは、私もかなり好きで暇をみては探しているのですが、あまり観光客がいないせいか、ハボロネではほとんど扱っている店が無いのが残念。 それでも帰国直前の2日間は南アに行くので、あちらで南部アフリカのあちこちから集まってきている雑貨でも探して帰ろうと思います。 ナイロビみたいに街の中におみやげ物市場があるといいのになぁとつくづく感じます。

新車がいっぱい

ハボロネで生活をしていると、本当にピカピカした高級車(しかも新車)が多いことに驚かされます。 私の職場の駐車場にも、新車のメルセデスだのアウディだのトヨタだのがごろごろ。 向かいの敷地にあるボツワナ銀行に至っては、この間からポルシェが何台も入って行くのを目撃してしまいました。 ここって一応まだ途上国だよね?と首をかしげてしまうこともしばしば・・・。 高級車が他の国に比べて安いわけでもないのに、やはり経済力があるのでしょうか? 人件費を考えると、日本に比べたら数割は低い賃金のはずなのに、みんなどうしてこんなにいい車に乗っているのかしら?!

というような話をこちらの農協のような組織で働いている青年海外協力隊の方にしてみたら、彼の職場でやっているローン制度でも、かなりの人が貸し付け希望を申し込むのだそうです。 みんなが当たり前のようにローンを組んで、新車を買ったりしているらしく、基本的にお給料は自転車操業で借金の支払いに回されるため、生活費をまた別のところ(街金融みたいなもの)でまかなったり・・・という状態。 貯金という概念はまだ未発達だし、個人破産しても国がなんとかしてくれるのではないかと甘い期待をもっているのかもしれません。 確かに向こう100年は採掘できるといわれているダイヤモンド資源を持ってすれば、しばらくの間の国民生活の保障はそれほど難しいわけでも無いわけですが、何だかちょっと虚しい話でもあります。

とは言っても、ハボロネの街を走るタクシーは「まだ走れるの?」と思わずにいられない古い日本車も多く、商売道具なんだからもう少し投資してもいいのに、と感じることも少なくありません。 いろんな人がいろんな価値観を持っているのだから当たり前ですが、車事情に関して言えば、ハボロネはなんとなく不思議な街です。

恵みの雨

週末も暑かったハボロネですが、日曜の午後には短い夕立がありました。 現地の言葉では雨はPulaと言い、ボツワナの貨幣単位のプラと全く同じ言葉です。 乾いたアフリカの大地にとって、雨はまさに天からの恵み。 この単語をお金の単位に使うとは、どれほど雨が貴重なものかを物語っているような気がします。

先月、山に登ったときにハボロネの水源であるダムの様子も一望できたのですが、そのときももうすぐ雨季の終わりだと言うのに、ダムの貯水率は半分もないのではないかと思われる状態。 4月から11月の乾季に、これからどうやって限られた水資源を使っていくのか・・・。 昨年も乾季の終わり頃には渇水で大変だったと言う話ですが、今年も同じように取水制限などしながら恵みのプラを待たなければいけないようです。 普段のハボロネ生活の中では何かとやっかいな雨ですが、残り少ない雨季のこの時期にしっかり雨が降ってくれればいいのにな、とにわか滞在者の私まで思ってしまいます。

ニーハオ

ハボロネの街なかを歩いていると、時折すれ違う見知らぬ人から「デュメラ(こんにちは)」と声をかけられます。 南部アフリカの中ではあまりフレンドリーではないと悪評もあるツワナの人々ですが、一目見て外国人とわかる私には愛想も良くしてくれているのでしょうか?

そんな風に見知らぬ人に声をかけられることにも驚かなくなりましたが、時々「ニーハオ」と言われることもあります。 私にボツワナ人と隣国のジンバブエ人との区別がつかないように、彼らにも日本人と中国人の違いがわからないようです。 しかもこの国に長期滞在している日本人の数はたったの40人余り。 千人の単位でいると言われている中国人に間違われても仕方ありません。 ただ困ったことに、ボツワナでは中国人に対する差別がひどいらしく、私にかける「ニーハオ」にも半分からかいが混じっているように感じることもしばしばです。 そういう時に日本人だよ、と言うと急に手のひらを返したように親切にされると、自分が差別されているわけでもないのに余計に哀しい気分になります。

いろいろと話を聞いてみると、中国人は非常に商売っ気があるところが嫌われているとのこと。 私からしてみれば中国人と同じかそれ以上に商売っ気があると思われるインド人に対しては、「成功したビジネスマン」というようなイメージがあるようで、なぜかインドへの印象は良いそうです。 インドで1年弱暮らして、正直なところもうインドはこりごりの私には理解できない・・・。 お互いをよく知ることでしか差別はなくならないと言いますが、ところ変わればイメージも変わるものなのでしょうか?!

ボツワナエイズ事情

今日は朝からこちらの公立専門学校のようなところで、職員の方を対象にしたエイズ関連のお話をしてきました。 さすがにHIV/エイズが国家危機的問題とされているボツワナなので、学校のあちこちにエイズ予防のポスターは貼られているし、いろいろなところに無料配布コンドームの箱が置いてあります。 職員もほとんどの人が感染ルートも予防法も知っている状態。 だけど成人人口の25%以上が感染している状況でありながらも、なかなか新規感染を減らすことができていません。

そもそも、なぜこんなにHIVが流行してしまうのか、ということを小グループでディスカッションしてもらったのですが、結局は文化が悪いというところに行き着いてしまいました。 昔からツワナ族(国民の大半を占める)では、結婚というシステムがあまり機能しておらず、財力・権力がある男性ほど「小さい家」と呼ばれる妾宅を持つことが普通とされていて、一夫一婦制が今も根付いていないという話。 それでも女性たるもの子どもを産むべき、という思想は強いので、HIV流行のことは知っていても、予防しないことを容認する女性たちが多いのも事実のようです。 婚外子が差別されることも全くないことからか、最近では出産する女性のたった2割しか婚姻関係にないとのことですが、妊娠がわかった途端に男性が逃げるということもよくあることだとか・・・。 

HIV/エイズの流行を文化のせいにしてしまうのはとても簡単なことですが、文化的に流行の素地があることを前提にして、いろいろな予防対策を行うことは必然です。 ボツワナでも政府やNGO、村レベルの組織に至るまで、本当にたくさんの人たちがHIV/エイズ対策に関連した、それこそ文字通りにありとあらゆる活動を行っているものの、20年経った今でさえ結果が出ていない状況。 しかも抗エイズウィルス薬の全国無料配布が始まってからは、HIVに感染しても死なないというイメージが一気に広がり(それはそれで差別の削減にとっては良いことなのですが)個人レベルでの危機感は再び薄れる傾向にあるように感じます。 

世界で2番目にひどい感染率のこの国でも、根強い文化的要因を取り除けずにいる現実を目の当たりにして、正直なところこれからもエイズとの闘いは簡単にならないのだろうなぁと思います。 でもだからと言って白旗を揚げる選択肢は無い。 そんなことを感じながら仕事をしています。